2014年2月9日日曜日

2014.02.09 M-88 おら東京さいくだ。雪国だ。(吉幾三かよ!!)

2月の始めに出張(本当は所用があったので無理矢理出張を作ったかも??)で一時帰国。
行きはミュンヘンから飛行機が飛ばず、パリ経由。

日本のコールセンターに電話し、パリまでなんとかたどり着くもなかなか座席が決まらず(どうやらオーバーブッキング)、ようやく飛行機に搭乗して着席したと思ったら座席変更を強制される。
まあ、ずずっと前の方への座席変更なのでよしとしたが。

久々の前の方の席に喜び、調子に乗ったのががケチの付き始め。
パリ上空 
北極方面の夕焼け
フォアグラの前菜付き


まあ、メシはざっとこんなもん

2日間の会議なのに調子に乗って9日も日本に居座ったのが運のツキ。
ミュンヘンへ旅立つ日は、東京に降ったミゾウユウの大雪にジャストミート!!
とりあえず行けるところまで行こうと、朝早くトボトボと雪道を歩いて駅へ向かう。




成田空港方面に向かう唯一動いている総武線各駅停車に乗り、2時間かけて千葉駅までなんとかたどり着く。午前9時である。
ぜんぶ雪のせいだ。そうだ
しかしここからが大変。
全く、成田方面への電車は動かず、後から後からスーツケースを引っ張った人々が集結。
しまいにゃ、ANAスッチーまで集合して来る始末。
11:30出発予定の飛行機をチェックするもキャンセルは出ず。
キャンセルなら、即家に帰るのに。しかないので、とりあえず成田空港まで行かねばなるまい、と決意し、ひたすら電車が動くのを待つ。
結局2時まで待って、ようやくキャンセルとなる。
線路こんなじゃ電車動かんわ
千葉駅西口前
2時間待っても1台も来ないタクシー乗り場
快晴の雪景色
そこで航空会社に電話し、振替便をお願いする。
明日の夜中の羽田発パリ経由ミュンヘン行きを取ることができた。
ようやく、この時間でも唯一動いている総武線各駅停車に乗り、自宅へ帰り着く。
丸一日をこんなんで無駄にしてしまったのである。

翌日夜中の羽田発パリ行きにはすんなり乗れましたが。。。
始めから羽田発にしておけば良かったなあ。
帰りのメシはちょいとダウングレード
パリ上空はよい天気
結局、行きも帰りもパリ経由というお馬鹿な東京出張でありました。


2014年1月26日日曜日

2014.01.26 M-87 ダッハウに行ってきました

ミュンヘンの北側にあるダッハウ強制収容所跡地にある記念館に行ってきた。
一度は行こうとは思っていたが、なかなか足が向かず、することとてない1月の寒い曇り空の日に行って来た。

このダッハウはアウシュビッツと並んで有名な強制収容所であるが、ナチスの強制収容所の中では最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった収容所である。

写真や実際の記録、手紙などの展示。ガス室や収容所の建物などを保存展示しているが、今回は詳しい説明は省きます。
写真をパチパチ撮るといった場所でもないので、数枚の写真でその雰囲気だけお伝えいたしたく。





働けば自由になれる。

2014年1月11日土曜日

2014.01.11 M-86 ミュンヘンの冬は何処へ?

ミュンヘンに冬が来ない。
昨年は10月から5月まで、ず〜〜〜〜〜〜〜っと冬であったが、今年はいい感じ。
気温こそ零度前後まで下がるが、風もなく、晴天の日も多い。

そんな冬の陽を撮ってみました。
冬の日差しとは思えない

飛行機雲が美しい
樹木も緑を保っている
1度だけ雪が積もった。次の日には融けた。

積雲って冬の雲じゃないでしょ
見事な夕焼け
隣のワンコもひなたぼっこ
真冬に日光浴
1月ですよ1月
出番のない おニューの雪かき車

2013年12月8日日曜日

2013.12.08 M-85 ちょっと飯食いにプラハまで。

ミュンヘンの寒い冬を逃れてチェコ共和国の首都プラハへ。(実際はプラハのがミュンへンより北にあるんですが。)
プラハへは、ミュンヘン空港から1時間たらずの飛行である。
まさに飛び上がったらすぐ降下し、あっと言う間にプラハである。
チェコ語と日本語では、プラハはプラハであるが、ドイツ語だとプラーク、英語だとプラーグと発音される。

プラハ空港から市内中心部までは、シャトルバスが便利である。
街中に入るとミュンヘンとは趣きの違う、古い落ち着いた街並が見えてくる。
プラハの市民会館
日本の京都と姉妹都市で、1000年の歴史を持つ都市でもあり街自体が世界文化遺産に登録されている。
火薬塔
昼過ぎにプラハ市内に到着。何はともあれ昼飯である。
今回のプラハ旅行の最大の目的は「美味い飯を食う。」であるからして、まずは昼飯なのである。

プラハ1区の火薬塔(Powder Tour)近くのホテルに荷物を置き、目をつけておいたチェコ料理のレストランへ向かう。
ホテルから市民会館の地下にあるチェコ料理のレストランが、ウェッブなどで評判が良いので、まずはここでチェコ料理。レストランの名前は全く読めないのである。(その後の調べでレストラン名はフランツォーカー・レスタウラツェであることが判明)
この市民会館(Municipal House)は、音楽祭「プラハの春」の会場として有名な建物らしい。ミュンヘンに名前がちょっと似ているので、最初はちょっと抵抗感あり。メシまずいかもと疑ってしまう。


美味で有名なチェコビールをまず1杯。きのこスープとソーセージシチューみたいな料理を頼んだが、大正解!!
見た目はドイツ料理と似ているが、味は似て非なる物。



ポテト&キノコスープ
ソーセージの煮込み
広い店内には日本人も何組か散見され、この店はやはり人気もあり正解であったことが証明された。

ゆっくりと昼飯を終え、外へ出るともうすでに暗くなってきている。
雨こそ降っていないものの天気もいまいちではあるが、それほど大きな街ではないので主要な見所は徒歩で回れる。

市内の観光ポイントを拾い見しながら、最大の観光ポイントのひとつカレル橋へ向かう。
折しもクリスマスマルクトがはじまった広場や旧市庁舎とそれにひっついた天文時計をチラ見しながらカレル橋に到着。
クリスマスマルクト開催中
天文時計
ティーン教会の尖塔

カレル橋に到着(人波が途切れるのを待って撮影)
しかし、もの凄い人ごみである。ちょうどクリスマルクトが始まったのか?観光地がこの1区に集中しているからなのか?暇人が多いのか?
土曜日のミュンヘン・マリエンプラッツ並の混雑である。写真を撮るのも一苦労である。

当然、カレル橋も一杯の人盛り、その道中の賑やかなこと〜〜(って愛宕山かいな。)

人ごみでなかなか歩も進まず、また暗くなるのも早く、橋を渡り終わる頃にはあたりはもう真っ暗。
今日の偵察は橋向うまでにして、1区に戻り夕食としよう。







帰り道も巨人の群れをかき分けかき分け、カモメをかき分け、目当てのイタリアンレストランに到着。
トマトスープ
まぐろのカルパッチョ
きのこのリゾット
Kogoという大きなイタリアン・レストランでリゾットなどを頂きました。
そうです。このプラハのかつての支配者は、ハプスブルグ家なのであり、イタリアンもまた美味なのであります。

腹ごなしに市内をブラブラ散策し、本日は無事終了。







プラハ2日目。今日は日曜日

今日の目的地はプラハ城。
1区にあるホテルを出て、市内をブラブラと再びカレル橋を目指す。



誰もいない通り
マルクトも無人

日曜の朝である。日曜の朝ではあるがなんと人通りがほとんど無い。
少ないんじゃなくて無いのである。
巨人たちは寝坊なのか、はたまた全員教会で懺悔でもしているのであろうか、知らん。
カレル橋も枯れてしまっているのである。

そんなことはどうでもいい。我々には天国である。

また、今日は昨日と違い、天気もまずまずである。



カレル橋も人まばら
プラハ城を望む

橋を渡り、しばらく行くと城に続く長い階段となる。
この辺りから、パラパラと観光客の姿が見えてくる。
しかも、大半は我が同胞。日本人の団体さんが多いのである。

♩朝だ、夜明けだ、潮の息吹〜〜♩とはさすがに歌っていないが、早起きは三文の得と言うことわざは、このあたりの巨人たちには無いのであろう。
急な階段を登り詰める 

プラハ城正門
プラハ城はというと、岡の上に立っている、城内に教会あり広場ありの普通の城である。
普通の城なので、まあどうでもいいのである。
 ただ、ここから見るプラハ市内は、まあまあの景観ではあった。




プラハの中心部を望む 



裏門では丁度、衛兵交替中
プラハ城はこれにて終了。
まあ、普通の西洋の城です。
城を出て、来た道を戻り市内へ向かう。
帰りは天気も回復





馬車も走る
トラムも走る
市内に戻る頃には天気も恢復。カレル橋からの景色が綺麗である。


しかし、理由は分からないがあちこちにタイ式マッサージの店がある。流行ってるのか?
あまり、この街の風景には馴染まないとは思うが、結構繁盛しているのである。



さて、昼飯は、スパニッシュ・レストランの「Centro」という店である。
チェコに来て、イタリアンとスパニッシュってちょっとなあと思いながらも、日本のおじさんには優しいのはラテン系の料理なのである。ダシを使った料理なのである。
まだ、早いのか我々の他に客はいなかったが、ここも美味いのである。
豪華なタパス

パエジャは必須
昼食のパエジャを食べ終わるとそろそろ帰りのフライトの時間が迫ってきていた。

帰りのフライトで、ネコのエサのような機内食が出たがそんなものには見向きもしないのである。ルフトハンザ、ノーサンキューである。

今回の旅行は、冬のことでもあり観光というより、完全に「美味いものを食うツ」ツアーであったが、おまけとは言え、古いヨーロッパの街並も堪能でき、まずまずの小旅行であった。